今日は何の日?
2003年12月25日今年も後僅か、いよいよ気ぜわしいです。
今日は何の日でしょうか?
【記念日】
クリスマス(キリスト降誕祭)
イエス・キリストの降誕記念日。「クリスマス(Christmas)」とはキリストのミサ(儀式)という意味で、降誕祭を祝う習慣は4世紀頃から始まったと言われる。「キリスト」を表わすギリシア語の頭文字が“X”であることから「Xmas」とも書き、フランスでは「ノエル(Noel)」、イタリアでは「ナターレ(Natale)」、ドイツでは「ワイナハテン(Weihnachten)」。
昭和の日
1926(大正15、昭和元)年のこの日、大正天皇が崩御し皇太子であった裕仁親王が即位したことから。
スケートの日
1861(文久元)年のこの日、函館に滞在していたイギリスの探検家トーマス・ライト・ブラキストンが日本で初めてスケートをしたことから、日本スケート場協会が1982(昭和57)年に制定。
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【できごと】
巨人・松井が5億円選手に、日本球界で歴代2位[2000年]
4番打者としてプロ野球、巨人日本一に貢献した松井秀喜外野手(当時26歳)が、東京・神田錦町の球団事務所で契約更改交渉に臨み、1億5000万円増の年俸5億円で翌2001年シーズンの契約を終えたのが2000(平成12)年のこの日。当時の現役最高年俸で、日本球界では歴代2位の高給となった。5億円到達はともに米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(当時オリックス)、佐々木主浩投手(当時横浜)に次ぐ3人目。史上最高額の年俸は、同季のイチロー外野手の5億3000万円。松井外野手はプロ8年目の今季、4番打者として全試合フルイニング出場し、打率3割1分6厘、42本塁打、108打点で本塁打王と打点王に輝き、セ・リーグと日本シリーズでMVPに選出された。金額はすべて推定によるもの。
人気フリーアナウンサー、逸見政孝死去[1993年]
テレビ番組の司会などで人気を集めたフリーアナウンサー、逸見政孝(いつみ・まさたか)が、ガン性悪液質のため東京都の病院で死去したのが1993(平成5)年のこの日。48歳だった。同年9月におよそ100人の報道陣を前に自らのがんを告白、その10日後に行われた手術は13時間に及び、摘出部だけで重さ3キロに達する難手術を経て闘病生活を続けていたが、この日ついに帰らぬ人となった。その死は、“ガンの告知と告白”、“ガン患者と家族”といった問題に一石を投じ、あらためて“末期ガン患者の生きざまとは何か”を社会に問いかけた。また、末期ガン患者に対する手術の在り方など、多くの波紋を投げかけた。
今日は何の日でしょうか?
【記念日】
クリスマス(キリスト降誕祭)
イエス・キリストの降誕記念日。「クリスマス(Christmas)」とはキリストのミサ(儀式)という意味で、降誕祭を祝う習慣は4世紀頃から始まったと言われる。「キリスト」を表わすギリシア語の頭文字が“X”であることから「Xmas」とも書き、フランスでは「ノエル(Noel)」、イタリアでは「ナターレ(Natale)」、ドイツでは「ワイナハテン(Weihnachten)」。
昭和の日
1926(大正15、昭和元)年のこの日、大正天皇が崩御し皇太子であった裕仁親王が即位したことから。
スケートの日
1861(文久元)年のこの日、函館に滞在していたイギリスの探検家トーマス・ライト・ブラキストンが日本で初めてスケートをしたことから、日本スケート場協会が1982(昭和57)年に制定。
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【できごと】
巨人・松井が5億円選手に、日本球界で歴代2位[2000年]
4番打者としてプロ野球、巨人日本一に貢献した松井秀喜外野手(当時26歳)が、東京・神田錦町の球団事務所で契約更改交渉に臨み、1億5000万円増の年俸5億円で翌2001年シーズンの契約を終えたのが2000(平成12)年のこの日。当時の現役最高年俸で、日本球界では歴代2位の高給となった。5億円到達はともに米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(当時オリックス)、佐々木主浩投手(当時横浜)に次ぐ3人目。史上最高額の年俸は、同季のイチロー外野手の5億3000万円。松井外野手はプロ8年目の今季、4番打者として全試合フルイニング出場し、打率3割1分6厘、42本塁打、108打点で本塁打王と打点王に輝き、セ・リーグと日本シリーズでMVPに選出された。金額はすべて推定によるもの。
人気フリーアナウンサー、逸見政孝死去[1993年]
テレビ番組の司会などで人気を集めたフリーアナウンサー、逸見政孝(いつみ・まさたか)が、ガン性悪液質のため東京都の病院で死去したのが1993(平成5)年のこの日。48歳だった。同年9月におよそ100人の報道陣を前に自らのがんを告白、その10日後に行われた手術は13時間に及び、摘出部だけで重さ3キロに達する難手術を経て闘病生活を続けていたが、この日ついに帰らぬ人となった。その死は、“ガンの告知と告白”、“ガン患者と家族”といった問題に一石を投じ、あらためて“末期ガン患者の生きざまとは何か”を社会に問いかけた。また、末期ガン患者に対する手術の在り方など、多くの波紋を投げかけた。
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